焼き肉店経営韓国人夫婦の在留認可

概要

大手焼き肉チェーン「叙々苑」傘下の焼き肉店を東京都内で経営する韓国人夫婦が、国に在留を認められなかったのは不当だとして、強制退去処分の取り消しなどを求めた訴訟で、東京地裁は2009年3月27日、請求を認めた。

杉原則彦裁判長は「夫婦は長期間、身を粉にして働き、叙々苑社長から高い評価を受けて店の営業を許された。違法状態だったが、営業を継続する経済的価値は高く、すべてを失わせるのは酷だ」と指摘した。

判決によると、夫婦は1988年、借金返済のため、短期滞在の名目で来日。期限が過ぎても残留し叙々苑の直営店で働いていたが、同社は99年ごろ、夫婦を含め不法就労者を全員解雇した。

夫婦は別の店に移った後、2004年にその店の経営を引き継いだ。叙々苑社長との親交は続いており「叙々苑」の商号使用を直営店以外で唯一許された上、食材の提供も受けるようになった。


杉原則彦裁判長

所属 東京高裁部総括判事
異動履歴 H.26.11.11~ 東京高裁部総括判事
  H.26. 3.25~H.26.11.10 金沢地裁所長・金沢簡裁判事
  H.25. 8. 2~H.26. 3.24 金沢地裁所
  H.23. 4. 1~H.25. 8. 1 東京高裁判事
  H.18. 4. 1~H.23. 3.31 東京地裁部総括判事
  H.17. 4. 1~H.18. 3.31 最高裁上席調査官(東京地裁判事)
  H.13. 4. 7~H.17. 3.31 最高裁裁判所調査官(東京地裁判事)
  H.11. 4. 1~H.13. 4. 6 最高裁裁判所調査官(東京地裁判事・東京簡裁判事)
  H. 9. 4. 1~H.11. 3.31 東京地裁判事・東京簡裁判事
  H. 6. 3.10~H. 9. 3.31 最高裁経理局主計課長(東京地裁判事・東京簡裁判事)
  H. 4. 7.10~H. 6. 3. 9 東京地裁判事・東京簡裁判事
  H. 3. 4. 7~H. 4. 7. 9 名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事
  H. 1. 7. 1~H. 3. 4. 6 名古屋地裁判事補・名古屋簡裁判事
  S.62. 7. 3~H. 1. 6.30 検事
  S.61. 8. 1~S.62. 7. 2 東京地裁判事補
  S.59. 7.16~S.61. 7.31 最高裁行政局付(東京地裁判事補)
  S.56. 4. 7~S.59. 7.15 東京地裁判事補

過去に扱った事件

アルゼ(会社・会長)、実体法でも税務訴訟で圧勝

東京地裁民事38部(杉原則彦裁判長)は2007年2月23日、株式の譲渡が低額譲渡に該当するかが主たる争点となった①第二次納税義務納付告知処分取消事件、②所得税の更正等取消請求事件、③法人税更正処分等取消請求事件、④法人税決定処分等取消請求事件に対し、「当該譲渡は再売買予約付き譲渡契約に基づいて行われたものであり、低額譲渡には当たらない」と判示し、低額譲渡に該当するとして行われた上記処分について、ほぼすべてを取り消す判決を言い渡した。

事案の概要
本件(4つの事件)は、コンピューター式パチスロ機の開発、製造および販売等を行うアルゼの会長がオーストラリア法人のA社から日本法人のB社株式を譲り受けたところ、B社株式の譲渡価額は時価に比し低額であるとして、①A社の滞納国税(④で決定したもの)に係るXに対する第二次納税義務の告知処分、②Xに対する低額譲受の経済的利益が一時所得に該当するとした所得税の更正処分等、③Xらからアルゼが譲り受けたB社株式の譲受価額も低額であるとして、アルゼに対する法人税等更正処分等、④低額譲渡であると認定したA社への法人税決定処分等、が行われたことから、原告(アルゼ・会長)がこれらの処分の取消しを求めた事案である。

原告「本件譲渡は株式預託行為の一部」
本件譲渡が国税徴収法39条に規定する「著しく低い額の対価による譲渡」に該当すると主張する課税庁に対し、原告(アルゼ・会長)は、「本件譲渡は株式の売買という法形式が採られているものの、その実質が、アルゼの株式公開の円滑な実現を目的とした関係会社株式の一時避難的な預託行為の一部であることは明らかであり、本件譲渡は、再売買予約付き譲渡契約に基づいて行われた買戻し(売戻し)義務の履行であり『著しく低い額の対価による譲渡』に当たらないことは明らかである。」と主張した。

不服申立適格を争点に最高裁で勝訴判決
本件は、法人税・所得税などの実体法上の課税処分についても争われているが、本件に先立って、会長(第二次納税義務者)がA社に対する法人税決定処分について、不服申立適格を有するかを争点として争われており、平成18年1月19日の最高裁判決で、会長の請求が認容されて確定していた。
東京地裁の杉原裁判長は、本件譲渡の事実認定を積み上げ、「本件譲渡は再予約付き譲渡契約に基づいて行われたものである。」と判示し、「低額譲渡には該当しない」と認め、争われていた課税処分等の取消しについて、原告の請求をほぼ全面的に認容する判決を言い渡した。

株式会社アルゼとは、現株式会社ユニバーサルエンターテインメントのことである。取締役会長である岡田和生氏は在日ではないかと言われている。


ミャンマー男性難民認定

音楽バンドのボーカルとして母国の反政府活動をしているミャンマー国籍の男性(29)=東京都在住=が、難民と認めるよう国に求めた訴訟の判決で、東京地裁は2008年9月5日、請求通り、難民不認定と強制退去の処分をいずれも取り消した。

判決理由で杉原則彦裁判長は「一定の知名度を持つ音楽グループによる反政府活動は、民主化に対する聴衆の意識を高揚させやすい。ミャンマー政府からも注目され、帰国すれば迫害を受ける恐れがある」と指摘した。

原告の弁護士によると、芸能活動を理由に難民と認定した判決は異例という。

判決によると、男性は2001年に来日し、そのまま不法残留の状態になった。ミャンマー民主化団体の日本支部が年数回主催する祭りなどで、反政府的な曲を演奏する在日ミャンマー人のバンドに参加。04年に難民申請したが認められず、07年に強制退去処分を受けた。

いったん入管施設に収容されたが、仮放免されていた。


「天皇伝説」上映認める

天皇家を題材にした映画「天皇伝説」など2作品について、上映予定だった施設の使用許可を取り消した東京都杉並区の処分は違法として、映画監督、渡辺文樹氏が異議を申し立てたのに対し、東京地裁は2008年10月30日、施設での上映を認める決定をした。

杉原則彦裁判長は「警察の警備によっても混乱を防止できないような特別な事情はない。表現の自由は憲法で保障されており、上映することで直ちに公共の福祉に重大な影響を及ぼすことはない」と判断した。

決定によると、渡辺氏は杉並区立勤労福祉会館で31日の上映を予定。区はいったん使用を許可したものの、上映4日前の27日に許可を取り消したため、渡辺氏は提訴すると同時に、不許可処分の執行停止を申し立てていた。

「天皇伝説」とは、渡辺文樹監督の作品で、明治天皇が16歳の時に別人(大室寅之祐という青年)にすり替えられ、大正天皇の4人の子は皆、貞明皇后の不倫の末に生まれた子であるとし、秋篠宮は美智子の不倫の子であるとする、「天皇陛下」や「ご皇室」を冒涜する作品であった。


近親婚でも年金認める

母方の叔父と内縁関係だった兵庫県明石市の女性(69)が、近親婚を禁じる民法の規定を根拠に遺族厚生年金の支給を認めなかった国の処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁は2009年1月30日、請求通り受給資格を認めた。

杉原則彦裁判長は(1)結婚式を挙げるなど地域社会に受け入れられ、夫婦生活も円満だった(2)女性の母と叔父は父親が異なる(3)叔父と女性が育った石川県の一部地域には当時、叔父(伯父)とめいが結婚するケースもあった-などの事情を指摘。「反倫理性や反公共性が低く、受給を認めても『近親婚』を助長せず、婚姻法秩序を乱す原因にならない」とし、不支給処分を取り消した。

近親婚の年金受給については、最高裁が2007年、「農業後継者の確保のため親族間で結婚が行われていたという地域性や時代的背景の下で内縁関係になった」など「特別の事情」がある場合は認められるとの初判断を示していた。

判決によると、女性は1968年、妻を亡くし、幼い子ども2人がいた叔父と事実上の結婚生活を始め、その後、明石市へ転居。叔父が2006年に死亡するまで約38年間、夫婦として生活していた。


強制退去取り消す ミャンマー人

父親(故人)が日本人にもかかわらず、東京入国管理局から強制退去処分を受けたミャンマー国籍の男性(46)が、国に処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、東京地裁(杉原則彦裁判長)は六日、「日本人の血縁上の子という事実を考慮せず強制退去処分としたのは違法だ」として、処分取り消しを命じた。

男性は清掃業マウン・ミョーユさん。杉原裁判長は、ミョーユさんが生まれた当時を知る、父親の同僚の証言などから、ミョーユさんを「日本人の血縁上の子」と認定。「(父親が日本人の場合などに認められる)在留特別許可を判断する重要な事情なのに、認めなかったのは、裁量権を逸脱している」と判断した。

判決によると、ミョーユさんは一九六三年一月、ミャンマーで日本人の父親とミャンマー人の母親の間に生まれた。父親は翌年、母親とミョーユさんを残して帰国。ミョーユさんは、母から父が日本人だと告げられ、九三年に短期滞在資格で入国。不法残留状態となり、二〇〇六年十月に強制退去処分を受けた。

代理人弁護士によると、ミョーユさんは、父親の親族からDNA鑑定を拒否され、認知もされなかった。

東京入国管理局の話 主張が認められず遺憾だ。控訴するかは検討の上、判断したい。
◆父の同僚ら支援実る

父親が日本人と認められたマウン・ミョーユさんは六日、会見し「(日本人の)父の子と認めてくれ、非常にうれしい」と涙ながらに喜びを表現した。

ミョーユさんを支えたのは、太平洋戦争中にミャンマー(旧ビルマ)で戦った日本人だった。戦死者を慰霊するため、同国を訪れていたグループに父親捜しの協力を求めた。

父親が勤務していた会社の同僚にも助けられた。

父親が一九七一年に死亡したことや、広島県内にいたことを突き止め九三年に来日、墓参りもした。

判決を聞いて、すぐに協力者たちに連絡すると「喜んでくれた」という。ミョーユさんは「これからも、日本の法律を守って暮らしていく。ミャンマーにいる家族を日本に呼びたい」と目を輝かせた。

参考文献





  • 最終更新:2015-05-22 20:14:07

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